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№701 ルカ8:10

 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、
 『彼らが見ても見えず、
 聞いても理解できない』
ようになるためである。」

*神恩コメント
 イエスは神の国について譬えをもって群衆に話されたが、弟子たちには後で譬えの意味を話された。彼らは神の国の秘密を悟ることが許されているからである。しかし、イエスの教えを聞いても信じることができない他の人々には譬えは謎のままである。これらの人々は、見れども見えず、聞けども聞こえず、だからである。現代の私たちも、その例外ではない。同じ教えに触れながら、イエスに従う人と離れ去る人の二つに分けられる。

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№700 箴言15:14

 聡明な心は知識を求め
 愚か者の口は無知を友とする。

*神恩コメント
 軍事や平和交渉については、専門家の言を尊ぶべきである。テレビのワイドショーで、弁護士やタレントがにわか仕込みの知識でもって、あれこれコメントしているが、自らの無知と軽薄を暴露するものでしかない。知らざるを知らずとす、これ知れるなり。

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№699 ルカ8:19~21

 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。

*神恩コメント
母と兄弟たちがイエスに会いに来た理由は書かれていないが、マルコ福音書には、家族はイエスの気が狂ったと思って取り押さえに来た、とある(3:21)。信仰は、神と当人だけの事柄であり、最も身近な家族にも理解されない。メシアとしての活動を始められたイエスは、なおさら家族の理解を超えていた。信仰に生きる、福音伝道に生きるとは、その意味で孤独である。イエスの口から発せられる神の言葉を聞いて行う人が、イエスの母であり兄弟であって、イエスはすでに肉の絆を断ち切っておられたのである。否、この世の外に立っておられたのである。

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:26)


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№698 ルカ7:22~23

 行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。

*神恩コメント
 洗礼者ヨハネが二人の弟子をイエスのもとに遣わし、来たるべきメシアはあなたであるか、と問わせた。イエスはそれに対して、御自分がなし遂げている御業をもってお答えになった。驚くべき奇跡がここに列挙されている。また、それぞれの具体例は四福音書に記されている。私たちの想像を絶する奇跡がイエスによってなされたのであって、彼はまさに治療神である。神がイエスを通して働かれたのである。今日の常識をもってこれを否定することはできない。

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№697 マタイ5:39~40

 悪人には手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

*神恩コメント
「市民を守るために降伏するべきだ」と主張する人に何を言いたいかと記者に問われて、ウクライナのゼレンスキー大統領は、「ウクライナ人は降伏しない。これは単なる口先の言葉ではなく、我々が日々証明していることだ」と否定した(4月25日朝日新聞)。首都キーウの地下鉄駅での記者会見である。

我が国の識者の中にも、市民の命を守るためにウクライナは早く降伏するべきだ、と主張する人がいる。しかし、相手は残虐この上ないプーチンである。ブチャやマリウポリでの市民の大量虐殺から見て、プーチンやロシア軍に良心や自制を期待するのはとうてい無理である。子や孫が殺され、妻女が目の前で犯され、領土が侵略されても、無抵抗に徹し左の頬をも差し出すべきだろうか。正当防衛は認められるべきではないか。我が国にロシアや中国が侵攻してきたとき、私たちはどうするのか。これは仮定の話ではなくなりつつある。

信徒の日常生活に限っても、キリストのこの教え(掲句)はまず守られていない。まして、今回のような侵略戦争の場合、信徒はどう対応すべきか。私は思う。そもそもキリストの教えには、今回のような事案は全く想定されていないのだから、「文字ではなく霊に仕える」(Ⅱコリント3:6)観点から、教えを拡大解釈すべきではない。私たちは、個々のケースごとに、祈りつつ聖霊の導きに従うべきであろう。キリストもファリサイ派の教条主義と戦われたのである。私はウクライナが戦うことを支持する。

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№696 詩篇90:12

 生涯の日を正しく数えるように教えてください。
 知恵ある心を得ることができますように。

*神恩コメント
 若いときと老いたる今とでは、同じ事柄に直面しても対応が異なる。情熱のままに、怒りのままに、自分から動くことはできない。もはや遣り直しがきかないことを心身が教えてくれる。常に死を隣に置き、祈りつつ静かに耐えるのみである。

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№695 ルカ8:1~3

 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

*神恩コメント
福音伝道の旅は、イエスと十二人の使徒に加え、婦人たちも一緒だった。ここに名を記されている婦人たちは、後に教会で尊敬された人たちであろう。というのは、当時、女性の地位は極めて低かったからである。彼女たちは皆、イエスに悪霊を追い出していただいた。その救いの体験が彼女たちを奉仕へと促したのである。最も有名なマグダラのマリアは、特に多くの悪霊に取りつかれていたのである。

入信以前の私たちは皆、悪霊の巣なのである。イエスの十字架を仰ぎ、悪霊を追い出してもらった者が、喜んで御後に従う者となるのである。

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№694 出エジプト20:13

 殺してはならない。

*神恩コメント
神が私たちに告げられた十戒の第六戒である。ロシア軍はウクライナの首都キーウからひとまず引き上げたが、近郊のブチャ等では市民の集団虐殺が行われた。南東部のマリウポリでも数千人の遺体が見つかっている。戦争犯罪の残酷な実態は、ほんの一部しか明らかになっていない。

殺戮の根は憎しみであり、エゴであり、罪である。ロシアとウクライナとは兄弟国と言われながら、兵士たちに憎しみを植え付け、それを煽り立てた者がいる。

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№693 イザヤ55:10~11

 雨も雪も、ひとたび天から降れば
 むなしく天に戻ることはない。
 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
 種蒔く人には種を与え
 食べる人には糧を与える。

 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
   むなしくは、わたしのもとに戻らない。
 それはわたしの望むことを成し遂げ
 わたしが与えた使命を必ず果たす。

*神恩コメント
 この小さなブログも心の貧しい人に届くであろう。一粒の雨のごとく、魂の飢え渇きを潤すであろう。もとより、私の力ではなく、御言葉の力による。

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№692 Ⅰヨハネ1:8~10

 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

*神恩コメント
神は光であり、そのお照らしによって私たちは自分の罪を知らされる。聖霊による聖化が進むほど、その光に鋭敏になり、己が身を恥じるようになる。節穴から光が射し込むと、無数のほこりが浮遊しているのが見えるのと同じである。自分の罪を知ることは苦しいが、それは恵みである。

 罪を隠している者は栄えない。
 告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。(箴言28:13)

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